神社名 守母神社
鎮座地 福岡県糟屋郡須恵町植木
由緒等 守母神社 由来

 この神社は、高鳥居城主杉弾正忠(豊後守興運)の幼児の乳母、慈照天眼禅尼、守母大菩薩を祀る。
 乳母は由緒正しい武門の出身にして、長じて杉氏家臣に嫁し、一男児をもうけて佐谷に住したと伝えられる。
 文武両道に秀で、良妻賢母の名声城下に高く、城主に召し出されてその幼児の乳母となり館に上がる。
 幼君の養育に専念して僅か六ヶ月後の、天文十二年(1551)九月初旬、戦いのため、高鳥居城は落城するが守母神社の由来は、この時の話で、乳母が主命によって幼君を植木村の霊樹山道林禅寺に託すべく、夜陰に乗じて落ち延びる途中、この谷間祠の奥の大岩の陰に隠れて休息していたところ、乳母に抱かれ熟睡していた幼君が突然発した鳴き声に因って、敵に発見され、両者共にこの地で討たれ、乳母は幼君の夜泣きの一声こそなければと、悲憤の涙にくれ「この身はこの地に果てるとも万民の母になって、幼児の夜泣きを止め、子供を二度とこのような悲しいえにはあわさぬ」と誓って果てたということに因む。
 その後、非業な最後を遂げた乳母の霊を「守母様」と仰ぎ称して「夜泣き止め、育児、身宮安泰」の神として祭祀し今日に至る。
(案内板より)
メモ 非常に悲しい由来の神社ですが、今も多くの母親が参拝に来るそうです。
地図

一の鳥居

参道

二の鳥居

拝殿前の狛犬吽形

拝殿前の狛犬阿形

拝殿

手水鉢

拝殿内

守母様の像

奉納された人形など

庚申塔

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