神社名 | 深江神社 |
鎮座地 | 福岡県糸島市二丈深江853 |
由緒等 |
深江神社御由緒 祭神 玉依姫命(神武天皇の御母) 宝満宮 菅原道真命(野見宿祢十世の孫) 天満宮 建久八年(1197年)高祖城主原田種直公は、原田家再興の守護神として、竃門宝満宮及び太宰府天満宮を上深江片峯に勧請されたが、境内の狭隘を恐れ、建仁三年(1203年)深江現在地に御奉遷鎮座申し上げられた。 これが深江神社の起源である。 降って豊臣秀吉公が名護屋城在陣の折り天正二十年八月(1592年)当社に参拝された時に、奇しくも秀頼公誕生の報を受け、秀吉公恭悦斜ならず、当社は秀頼公の産神なりと思召された。 早速、時の領主小早川隆景公に命じ、御社殿を再興させられ、なお、秀頼公誕生を祈念して深江神社の宮司の坊を誕生山神護寺秀覚院と改号された。隆景公も石の鳥居を奉納されたのであるが現在の第二の鳥居がそれである。 慶長十八年(1613年)唐津領主寺沢志摩守は当社に百間四方の社地を寄進され、なお大久保加賀守の代に至るまで、年々米二石の献納が行われた。 享保二年(1717年)中津領となってからは怡土郡西十四ヶ村の総宗廟として、近郷近在の尊崇厚く、秋の神幸祭は殷賑を極め、大正初期までは流鏑馬行事も行われ、盛大な神事であった。 (案内板より) |
メモ | 二丈深江駅から歩いて五分、深江小学校脇に鎮座、福岡県に多い宝満宮・天満宮系の神社です。豊臣秀吉がお茶会を開いたとされる神社でもあります。 |
地図 |