神社名 | 鎮懐石八幡宮 |
鎮座地 | 福岡県糸島市二丈深江2310-2 |
由緒等 |
祭神 神功皇后、應神天皇(八幡大神)、武内宿祢 由緒 鎮懐石八幡宮御實記を始め、古事記、萬葉集の鎮懐石を詠める歌、などによると、神功皇后(息長帯日女命)は應神天皇を懐妊しながらこの地を通って、朝鮮半島へ兵を出された時に、卵型の美しい二個の石を求めて肌身に抱き、鎮懐として出産の延期を祈られたのであった。願は叶って帰国後宇美の里で應神帝をご安産された。 そこで、神功皇后が経尺の璧石を、子負ヶ原の丘上にお手ずから拝納されてより、世人は鎮懐石と称してその奇魂を崇拝するようになった。 昔は、深江字津ノ上の石垣で築かれた高台に、ご社殿があり、数百年の年輪を刻んだ大きな松の木々が鬱蒼と生い茂っていたが、場所が狭く祭典にも不便を来していたので、昭和十一年(1936)に南側山手の、字萩ノ原の広い土地にご遷座し、幣殿、拝殿などを新築した。 拝殿の床板は、八十五センチを超える幅の広い松板が使われており、当時この周辺にも大きな松の木々が多かったことを物語っている。 古い歴史の重みを感じさせる大きな松の木も、昭和二十五年(1950)頃から、松食虫の被害が広がり伐採されて寂しくなった。 萬葉歌碑 安政六年(1859)六月に建てられた九州最古の萬葉歌碑で、書は豊前中津藩の深江在住の儒学者、日巡武澄である。 鎮懐石碑 文化十一年(1814)に建てられた碑で、鎮座の由来を書いている。文は亀井南冥の高弟、苓州江上源伯、書は、福岡藩の藩医であった、米山上村樗という人である。 (案内板より) |
メモ |
糸島に多く鎮座する神功皇后関連伝承の神社のうちの一社です。九州最古の万葉歌碑など見どころの多い神社です。 神社の方に教えてもらいましたが、鳥居そばの神功皇后お腰掛石に座ると大事なことを忘れるらしく、ちょっと怖い伝承があります。 |
地図 |