神社名 | 八幡神社 |
鎮座地 | 福岡県福津市畦町912 |
由緒等 |
祭神 神興宮 宗像三神(多岐都比賣命・市杵島比賣命・多紀理毘賣命) 八幡宮 神功皇后 應神天皇 武内大臣 由緒 當社は宗像七十五社の一也。産神なり。村の西五町計林中に在。字を大明神と云う。 往昔神興宮と称し天正年間(一五七三年~一五九二年)宗像大宮司氏貞再建し年中六度の神事あり。 往古は津丸村の内にありしを何れの頃なりや兵乱に社も焼失せしかば村民高宮山の南半腹に移せしが後に山迫り前は谷に臨みて風雨の難常に多く御社早く破損せしかば産民等、社を他所に移すまく思う折柄、白鷹あまた集りて艮(北東)の山野に巣を掛むと飜飛すること頻也。里人等恠しとおもうおりしも里の童女の神の此処に住給はんとの御告なりと云いしかば其詞の託言に似たりとて村の北山字大明神と云処、白鷹の巣懸の樹下に寛永十三年(一六三七年)社を建て移し祀る是より延宝元年(一六七三年)八幡宮を勧請神興宮の同殿に祭れり其の後、鳥の巣村の民家をこの畦町に移されし頃神社をも今の地に遷し奉る畦町は昔は本木村の支郷なりし故なり。社内に宗像宮の末社百八神を八社に祭れり明治五年十一月三日村社に被定、鳥の巣にも、もと大明神と云う字ありしは奇なりと云うべし。 (案内板より) |
メモ |
宗像七十五社の一社。 社名は八幡宮となっていますが、もともと神興宮として祀られていた神社です。 |
地図 |