神社名 | 大森宮 |
鎮座地 | 福岡県福津市上西郷802 |
由緒等 | 御祭神 (右)伊弉諾尊 伊弉册命 事代主命 (左)水象女命 大山祗命 石長姫命 右、主祭神六柱の神の内 右記御祭神は、往時よりの御鎮座、飯盛社、小盛社、西塔田若宮社の御祭神也。 左記御祭神は、嘉元二年甲辰三月社職の河津駿河守藤原重房、本國産神、伊豆権現、箱根権現、三島明神の三柱の御祭神を合齋せしと傳たり、此の六柱の大神を合齋せしを以って俗に大守六社宮と稱号し、郷民の鎮守様と尊崇する皇神是なりと云う。 飯盛、小盛、西塔田若宮三社は宗像神社七拾五社の一也とあり、往時は御神田四拾四町餘あり社運も豊かに年中祭事も盛大なり御奉賛の儀も嚴しく齋行の趣宗像社記に詳しく記されたり。 應仁、文明年間に渉りし應仁の乱興り、たまたま往時、河津民部少輔藤原興光武職、社職兼任の責を以って、大内家の命をうけ山城國舟岡山の合戦に参加せし砌り不覚にも吾が身に深手を負ひ困迷傷心の体となり、たまたま戦場と本陣との間に大河あり渡る事を得ず危機に面したり。 其の折、河西に大鯰背に鞍を置き出現いたし、興光速やかに乗移り対岸の本陣に無事帰参。 家臣の手厚き看護を蒙り一命を得たりと。 其の後、何者あtりかを尋ねども知れず大森六社宮の御祭神の権化なると覚とり鯰魚は使神なりと尊崇せり。以後、蓑生郷の産子、なまず喰する事なしと云う傳へ也。 (案内板より) |
メモ | 「なまずの郷」そばに鎮座する神社で、秋篠宮殿下ご夫妻も参拝されたというナマズに縁のある神社です。 |
地図 |