神社名 | 五所八幡宮 |
鎮座地 | 福岡県古賀市青柳1656 |
由緒等 | 祭神 応神天皇(おうじんてんのう) 神功皇后(じんぐうこうごう) 玉依姫命(たまよりひめのみこと) 保食神(うけもちのかみ) 墨江三前神(すみのえのみまえのかみ) 神徳 武運長久 五穀豊穣 無病息災 縁結び 安産 交通航海安全 学業成就 由緒 当神社は、神功皇后が三韓御神幸の砌り、竜輿を休められた所と伝えられている。 神域には、神木の樫をはじめ一千年をこえる楠の大木などが繁り、森厳幽遂にして神々しい限りである。 この聖地に神徳高き五柱の神々が鎮まります故に五所八幡宮と称し奉る。なお当社は粕屋(裏粕屋・表粕屋)宗像 三郡の総社であり祈願所と定められ、五穀豊穣、住民寿康を祈願した由緒ある八幡宮である。創建の年は不明であるが、延元の頃(一三三六)より五度も兵火に遭い神殿拝殿その他宝物記録宝蔵等ほとんど焼失した。戦国時代の名将、立花城主の立花道雪は崇敬の念篤く、天正十一年(一五八三)に社殿を造営寄進したが、同十四年島津の大軍が北上島有に帰した。歴代の黒田藩主の尊崇も篤く、参勤交代の都度必ず社参、二代忠之は社殿を、六代継高は神殿を、十一代斉溥は拝殿を造営寄進した。大正十五年佐賀県嬉野町の慈眼庵で発見された大般若波羅密多経は、応永年間(一四〇〇年頃)全国六十余州の道俗六百人が一人一巻と書写して本宮に奉納した六百巻で、その後永禄年間(一五七〇年頃)に補充されたものが、戦国末期の火難をのがれて移動し、よく保管され現存するもの十一巻の内五巻が本宮に献納され大切に奉祀されている。棟札の現存するもの九枚あり、その内の明応二年(一四九三)の棟札は九州最古のもので、共に貴重な文化財である。 (案内板より) |
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