神社名 熊野道祖神社
鎮座地 福岡県福岡市南区塩原4-11-1
由緒等 熊野道祖神社由緒

御祭神  伊邪那岐命
     久那斗神
     八衢比古神
     八衢比売神

 熊野神社は古より塩原の射場「塩原中央部」に伊邪那岐命を祭祀せられ、道祖神社は塩原イトリサヤ「塩原四丁目芸工大前」に久那斗神、八衢比古神、八衢比売神を奉斎しておりましたが、昭和十二年両社が合祀せられ現在の熊野道祖神社となったのであります。
 文献では「古事記」上巻伊邪那岐命が黄泉国より帰られる段に「亦塞其黄泉坂之石者號道反大神、亦謂塞其黄泉大神」とあるのが最初で、即ち「道反大神、またの名を塞坐黄戸大神」とも呼ばれ、巨石を以て象徴し衢路に坐して悪霊を防ぐ神でありまた一方古典に見ゆる岐神(久那斗神、船戸神)とも申しあげます。何れも王朝の昔より悪疫を塞ります神並びに旅行の幸福を守護し給う神とも信仰せられ、総括的にはサイノ神と申し奉ったものであります。
 道祖神社の神域は、昼尚暗き樹木に覆われ周囲は水田地帯でありましたが、昭和二年四月七日、福岡県立筑紫中学校が道祖神社の境内を含む塩原に開校せられ、同校建設の際、社地の樹木を漫りに伐り忽ち病等其他不慮の災害に罹った者が多く、斯る御神威に鑑み強いて移轉せしむる事は恐れ尠からずとして遂に此儘据置かれる事になったのであります。
 この霊験あらたかなる神明照覧加護の下、交通安全、商売繁昌、学業成就、夫婦和合、旅行安全、開運、厄除、各種祈願成就の為、県内はもとより、遠隔地から多くの参拝者が訪れて居ります。明治以前から塞神又は道祖権現或は葛権現と稱して崇敬され、今日に及んで居りますが其名も著き神秘なる一例を挙げると、明治二十一年の大暴風の際、倒れたる神木が榎で太古から良い縁を授かり悪い縁を取り除く縁結びの神として崇敬され一夜の間に自ら起き直り今尚森々として繁茂し榎の大木が自然の造形其ままに四季折々の変化を遂げ、参拝者の心を慰め鬱蒼たりし千古の杜も依然として尊厳を保持せられて居るのであります。
(案内板より)
メモ もともと熊野神社と道祖神社と別々であった二社を合祀した神社です。今も熊野神社部分と道祖神社部分が道路を隔てて別々に鎮座しています。
西鉄大橋駅から歩いて五分程度のところに鎮座します。
地図

熊野神社鳥居

社号標

手水舎

拝殿

拝殿

拝殿

本殿

巨木

道路を挟んで向かい側に鎮座する道祖神社全景

手水鉢

道祖神社神額

道祖神社

福徳稲荷神社鳥居

左から福徳稲荷神社、金伯五金大神

左からのどの神と伊豆能賣神

道祖神社真ん中から生える御神木

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