神社名 | 志式神社 |
鎮座地 | 福岡県福岡市東区大字奈多1238-2 |
由緒等 |
神功皇后三韓進軍の折此の奈多浜に鎮座される荒ぶる神の御前にて戦捷の神楽を奏して征途につかれた、此の所を神楽岸又は踊坂と伝え当時神功の料理に奉仕した祖先の意志が受けつがれ今日の早魚神事として伝承される。 古は三郎天神と称え、後に志々岐三郎天神と称えたのは志々岐の三郎が勧請合祀した故であろう。明治の代に至り志式神社と改称される祭神は火明神、火酢芹神、豊玉姫神、十域別神、稚武王、葉山姫神で火難、盗難、難産を免れ家運を開く神として広く世に知られる。 正徳五年正月、寫所の「奈多浦志々岐大明神之事」に、聖武天皇の御宇観世音寺建立に当り御本尊を中華の國より運ぶ折、此の奈多沖にて急に大時化に会い肥前の國五島の志々岐大明神を船中に勧請し祈願した所無事帰国することが出来た。その後奈多の吹上浜に斯の社を建てその横に四尺三寸五分三尺六寸厚さ二寸二分の金の台座の上に赤銅の阿弥陀仏像を祭ったが、天正十二年岩屋陣の戦の時島津兵が此の像を盗み帰り后に刀の鍔に改鋳した。之が今日伝わる筑前の阿弥陀鍔の由来である。 此の由緒ある神社を永久に世に伝え限りなき神徳を氏子崇敬者と共に讃えむ。(志式神社記より) (案内板より) |
メモ |
奈多浜に鎮座する神功皇后ゆかりの神社の一つで、長崎県の式内社、志々伎神社との関係が深い歴史ある神社です。また「志式座」という常設舞台でも有名です。 最近、境内が綺麗に整備されました。 |
地図 |