神社名 南方神社(枕崎市)
鎮座地 鹿児島県枕崎市鹿篭麓町398
由緒等 南方神社由緒
御祭神
 建御名方命
 八坂刀売命

 正平十二年(1357年)六代太守氏久公一乗院を再興。この頃、薩摩国阿多郡加世田郷宇敷山頂(蔵多山)に長野県諏訪湖南北に二社ずつ鎮座する信濃国一之宮諏訪大社を勧請。
 文安元年(1444年)、島津照久(別名、伊集院照久)が宇敷山頂から現在の地へ移したものであるといわれる。古来、諏訪神社と呼ばれ故に鳥居・御簾(神殿扉)が横並びに並立する特徴がある。爾来、産土神として奉祀される。
 明治五年(1872年)、県から神官本田出羽守が臨検し、事代主命に代えて建御名方神の妻である八坂刀売命を祭らしめ、諏訪神社に換え(健)御名方の名から南方神社(ミナカタ)と改めた。
 明治四十二年(1909年)、神社統廃合が行われたとき、大山積神社(元和六年1620年七代忠政は田布川に山王権現、日吉神社を創建、昭和二十一年に復活)・立神神社・木原神社・津留神社の四社を合祀した。
(境内案内板より一部抜粋)
メモ 旧郷社。薩摩半島の南に鎮座し、並立鳥居と鮮やかな社殿が南国的で特徴的な神社です。由緒から諏訪神社から鹿児島県に非常に多い「南方神社」へと名称が変わっていった経緯がよく分かります。
撮影年 2018年
地図

神社入り口

神橋

社号標

参道

参道途中の招魂塚(西南の役の枕崎市殉難者の慰霊塔)

境内

手水舎

拝殿

本殿

社殿全景

菅原神社

護國神社鳥居

護國神社拝殿

護國神社本殿

淡島神社

護國神社脇の境内社

稲荷神社

水神社

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