神社名 日吉神社
鎮座地 山口県美祢市秋芳町嘉万5123
由緒等 祭神は大国主命、大山祇命、大山咋命、八上姫命

由緒略記
滋賀県比叡山山王権現日吉神社から延暦二十一年(802)勧請後 夢神告により豊西郡司俵秀盛が石楠山に社殿を建立 文治二年源頼朝の代参として長門守佐々木高綱参詣後 和泉守政景上総介直政等の社参もあった。応永十三年(1407)鷲頭弘忠築城のため神域を尊び 現薬王山麓(一説に文徳実録式外賀磨能峰社跡)に社殿を造営 文亀元年大内義隆の父義興月次の祈祷を行い拝殿造営神輿を寄進 永禄七年(1564)毛利元就立願成就し 長門国日吉神社として再建 以後明治まで例祭日毎に毛利藩主の代参として三十一名が参詣盛事を極めた。 武士の守護神としてだけではなく美祢郡の地主神 産土神として また 霊験あらたかな日吉山王権現として二十一の末社もあり 郡中はもちろん 郡外の信仰をも一途に集めた
慶長六年 回録の厄で烏有に帰したが明和二年(1765)毛利重就社殿造営 後 老朽のため大正五年氏子一丸となり 現社殿を建立 今に至る
(案内碑より)
メモ 「文徳天皇実録」記載の賀磨能峯社とされる由緒正しい古社です。
地図

一の鳥居

社号標

参道

二の鳥居

社号標

境内入口

三の鳥居

境内

手水舎

狛犬吽形

狛犬阿形

狛猿

狛猿

神馬

神牛

御神田

拝殿前の狛犬吽形

拝殿前の狛犬阿形

拝殿神額

拝殿彫刻

拝殿

本殿

本殿

社殿全景

稲荷神社(稲成大神・瘡守大神・若宮大神)

拝殿前に落ちていた蛇の抜け殻

御神木

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